2年続けたアルバイトを退職した話。

 先日、約2年続けたアルバイトを退職した。普通の大卒社会人なら3年目というところだが、私はまた無職に戻ってしまった。この2年間、何があったか(大して何もないのだが)を思い出しながらここに書き残したい。

 

 2年前の春、私は大学を卒業したばかりだった。大学はほぼ何の問題もなくストレートに卒業することができたのだが、就職先が決まらず4月を迎え、精神的にどん底になっていた。両親からはこれから就職はどうするのか、とにかくお金を稼がないといけないのだからアルバイトでもしながら就活しろと言われ、家にも居辛い状況だったので、早々に就活を始めて面接を受けた。

上手く話せなかったし、落ちたと思ったが、結果は採用だった。ただし、最初の数ヶ月は試用期間でアルバイト、1年後に、アルバイトから正社員登用になれるかどうかの判断を下すと。もちろん、優秀なら1年未満で正社員登用もアリだと。1年後に正社員登用の判断というところに引っかかったのだが、当時アルバイトでもいいから稼ぎたい、合わなかったら試用期間中に辞めればいいと考えていたので、その会社で働くことに決めた。

 最初の3ヶ月は順調で、教えられた仕事をミスもなくこなした。(教えられる時に研修もマニュアルも一切なかったのは中小企業のゆえか。)他の社員とのコミュニケーションも今よりは取れていたと思う。

しかし、3ヶ月後に異動があり、管理・経理の部署に配属された。この部署に配属してから、私はたびたび仕事でミスをするようになった。

今まで携わってきた事業・業務とは全く違う。画面を見ながら上司から説明を受けてもわからない。やっと基本を理解しても、少し応用になると全くわからない。質問をしても同じことはなるべく聞かない、自分で少し考えてと返され、自分で考え行動した結果間違いを犯し、上司に叱責される。怒鳴られる。周りの社員の耳にも入る。

一昨年の秋頃はほぼ毎日怒られ、職場に行くのも厭になり、通勤中頻繁に腹痛を起こすようにもなっていた。自分でも努力はした。覚えた仕事も任される仕事も増えていくのだが、それでもミスを連発する状況は続いた(間に小康状態はあるが)。

 1年経った去年の春、社長に君はまだ正社員にはなれないと告げられた。周りの社員からの評価も芳しくないことは知っていたし、ミスばかりの私が正社員になれる訳がないと思っていた。一方で私と同じ経緯で入社したアルバイトの同期が正社員登用になることも知らされた。彼は普段ヘラヘラ(自称)しているが、感情の起伏があまりなく、失敗してもすぐ立ち直って行動する人だったので、私はまあ当然だろうと納得していた。

両親に正社員になれないことを報告した時、辞めて次の職を探したら?と言われたが、もう1年頑張ってみると答えた。純度100%の気持ちではない。ただ、収入源が断たれるのが怖かっただけだ。無職に戻ることへの恐怖が大きかっただけなのだ。もちろん、同期の件は話さなかった。

 辞めるに辞められなかった(と思い込んでいた)理由があった。私に仕事を教えてくれた上司が年末退職予定で、後任の人が夏に入社した。上司はその人への仕事の引き継ぎに付きっ切りだった。こんな時に自分が辞めてはいけない。部署が回らなくなる、と上司が退職した後も気持ちをずるずると引き摺っていた。この頃には仕事も増えなくなり、精神が磨耗し、憔悴した状態だった。

 引き摺って今年の春。続々と別の人が正規雇用になる中、また正社員は無理だと言われた。私は、もしかしたら自分はADHDじゃないかと告げた。すると、一度検査して結果次第で対策を考えて働き続けてみたら?と。その答えに一度納得した。

しかしADHDの検査を受けるのが怖く、検査結果が出ないまま私はこの環境にいることが我慢できず、私は唇を震わせながら両親に退職することを相談した上で退職したい旨を上司に告げた。残念だと言われたが、とにかくこの構築された人間関係外へ出ることしか頭になかった。

その後、後任がなかなか決まらず結局退職時期が6月末→7月末→8月上旬と延びてしまったが、無事退職することができた。

 

 こうして2年前の春と同じ無職に戻った訳だが、あの頃ほど絶望していない。発達障害の検査結果でADHDではないと診断されたが(社会不安・対人不安の傾向はある)、少なくとも2年間精神の内側・深奥にあった漠然な不安感が少し解消された気がするからだ。

 とはいえ働かなければならない。わかっている。就活しなければならない。

職務経歴書の上ではこの2年間は“空白”であり、虚無なのだ。私は2年間の残滓としてどうしてもブログに残さずにはいられなかった。

だけど8月は少し休ませてほしい。少しだけ平日に遊びたい…人間が働く気温ではないから…どうか許してほしい…